バンドを長く続けられることは、曲作りのセンスやプレイの技術とはまた別の才能だと思います。
バンドというよりもはやその存在自体が世界有数の巨大企業みたいになってしまったローリング・ストーンズのように莫大な利益を得るためにバンドを存続させるのではなく、誰に頼まれてやっているわけでもないのだから、続ける意義や自分なりの到達点という名の通過点にその都度喜びを見いだせなければ継続は難しいでしょう。
ましてやがむしゃらに突き進んでいける若い頃とは違い、バンドと生活の両立が困難になったり、バンドを続けるために収入を得ていたはずの仕事のほうに面白さを感じてしまったり、あるいはメンバーが他界してしまうケースだって歳を重ねていけばままあることです。
アルバムを発表してツアーをやって充分な収入を得ることができたのも苦労に見合うだけの評価を得られたのも20年以上前の話でしょうし、今やこのコロナ禍のさなかではまずライブ自体がこれまでのようにやれません。
まるで夢のない話に思えますが、ここ数年はバンド自身がそうした厳しい状況をSNSを通じて臆面もなく発信しているようにも感じます。
バンドマンとて人の子とは知りつつ、いささか寂しい気もします。
G.D.FLICKERSは1985年10月の結成以来、度重なるベーシストの交代に悩まされ、レコード会社や所属事務所を転々とし、おそらくこの先も表沙汰にはできないであろう数々のトラブルと向き合ってきたバンドですが、舞台裏の苦悩をインタビューやSNSで吐露することは決してありません。
陽気で快活なロックンロールと華やかなヴィジュアル、野性味溢れるライブパフォーマンスで人気を博してきた彼らならではの流儀はやはりどこまでも明るく楽しく元気よく、なのです。
どれだけ辛酸を舐めても彼らは毅然とそれに立ち向かい、一歩ずつ乗り越えていきます。そしてその困難さを微塵も表に出しません。
まさに武士は食わねど高楊枝。
それがロックンロールの美学と言わんばかりに、G.D.はずっとかぶ(傾・歌舞)き続けているのです。
ぼくらがあの80年代のバンドブームのさなかにバンドに対して抱いたのは夢と憧れでした。
目前わずか数メートルの手の届く距離にいるはずのバンドは決して手の届かない存在だったし、誰もが気軽に立てるわけではないステージに選ばれて立ち、その一期一会のライブで夢を与えてくれました。
夢なんて言葉、十代の頃は青くさくて好きになれませんでしたが、あの時代、選ばれしバンドがオーディエンスに夢と希望と生きる活力を与えてくれたのは紛れもない事実でした。
G.D.は結成から35年を経た今もなおロックンロールの魔法を信じ、ぼくらにその魔法を与え続けてくれるバンドです。
その表現が大袈裟ならば、それでもなおロックンロールを続けるのはなぜなのか? という問いに真摯に答えてくれる日本でも数少ないバンドの一つです。
その表現もまた大袈裟ならば、こんなにロックンロールバンドらしいかっこいいロックンロールバンドは他にいない、とだけ書いておきましょう。
長くなりました。
JOEさん、原さん、博英さん、DEBUさん、岡本さん、結成35周年おめでとうございます。
いつまでもロフトの市松模様のステージが似合うバンドでいてください。
椎名宗之(Rooftop編集長)